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投稿日:2018-09-10 府中 朝カフェの会

8/8 第268回府中朝カフェの会は、府中パスポートのシェア

本日の府中朝カフェの会は、調布・府中パスポート利用のシェアが有りました。

・立川市のフレックス社が出版販売する、地域限定割引サービス付のガイド本。
・調布・府中版は、今回でパート2で、前回と同じ店と新しい店の掲載が半分半分。
・府中駅中心に、利用履歴を積み重ねて、利用履歴が上位50位に入ると、次回出版時にタダで1冊貰える。
・個人のフェイスブックと府中いいとこ!!でも、宣伝されており、ファンも多い。

府中朝カフェの会でも、議会・市政ウォッチングの動向を注視していきたいです。

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愛妻日記
「ショーツは両脚の付根でかろうじて挟まれていても、少し栗色がかかった陰毛は隠しようもありません。
私はハサミを床に置き、陰毛に頬を寄せました。柔らかな陰毛の毛先が頬をなぶる。
やめて、やめて、と繰り返す妻の声が、下腹から聞こえてくる。
両脚の付け根に、縦に割れた窪みの始まりを、指でそっと撫でました。
妻は腰を引く。あぅん、と鼻が鳴る。
だらんと前後に垂れ下がったショーツを掴んで、ゆっくりと布地で割れ目をしごく様に引き抜いていきました。
あぅん、あぅん、と妻は啼く。小さな獣の様に、啼くのです。ショーツの股の所が、じっとり湿っていました。
鼻を近付けると、甘い様な、苦い様な、饐えた様な、しょっぱい様な・・女の、メスの、匂いがしました。
ショーツを抜き取ってしまうと、もう、妻の体の一番恥ずかしい部分を覆うものはありません。
私は立ち上がり、右手で妻の体を支え、妻の乳首を舌と唇で弄びながら、左手で股間の茂みを弄りました。
濡れていました。なんだ、と思わず笑うと、妻は身震いしました。恥ずかしい事をされて、濡れてしまった。
それを私に気付かれた。かわいそうに、妻は死にたくなっっているのかも知れません。
陽の光を浴びた事の無い股間は、冬の陽の柔らかな温もりを浴びて、ぬるぬるに濡れてきました。
私は指を動かす。ぴちゃぴちゃ、と音を立てて、擦る。
乳首をしゃぶって、パジャマのズボンの下ではち切れそうになっている私の性器を妻の下腹に押し当てて、
妻の体の芯から湧いてくる愛液を指ですくって、腋に擦り付ける。」
重松清

なぜ日本の「ご飯」は美味しいのか 韓国人による日韓比較論
「韓国公社は客集め、空港公社は独島模型。なんでしょうね。この寸劇は。
韓国の独島アピールは珍しいものではありませんが、日本人観光客を呼び戻さないといけない状況の中で、
こういうのを作っておくとは、これはこれで大したものです。
韓国は、「竹島は韓国のものだと日本人韓国客に見せたい」と「日本人観光客がもっと韓国に来る」を
「どちらも正しい事だから、同時に実現出来る」と思っているのかもしれません。
韓国の日本観はいつも一方的で、韓国の正しさに日本が合わせるべきだとするのがオチですから。
しかし世の中には常識というものがあるでしょう。
領土問題を空港の休憩スペースで堂々と展開する国の愛国ごっこに付き合いたい外国人観光客、
特に日本人観光客はそう多くないでしょう。
韓国を訪れる日本人観光客には、竹島問題にはなんら興味を持っていない人も居るでしょう。
しかし、そんな人でも、空港にこんなものが展示されているのを見て、
「これで楽しい旅が出来る! ありがとう!」と思う人は居ない筈です。
空港が何の為に有るのか。「反日の道具」としての空港が本来の目的より優先していいのか? どうでしょう。」
シンシアリー

日本の歴史 7 武士の成長と室町文化
「足利尊氏について、みなさんはどの様な印象を持たれますか。
鎌倉幕府を倒し、さらに後醍醐天皇とも戦って、新しい武家政権を打ち立てたのですから、とても勇ましい人だった様です。
戦場で危険が迫っても、笑顔で、ちっとも恐れる様子は無かったと言います。
また人を恨むことも無く、かつての敵も快く許して、自分の子供の様に可愛がったと言われています。
さらに次の様な話も有ります。尊氏のもとには、貴族や武士、僧から数多くの贈り物が届けられ、
屋敷の玄関にうず高く積まれていましたが、尊氏は訪れてくる人に、それらを気前良くポンポンと与えてしまったので、
夕方にはすっかり無くなってしまったそうです。
勇気があり、かつ寛大で、しかも気前が良い。
まさに尊氏はリーダーに相応しい人物だったと言えましょう。
ただ将軍として、多くの武士を束ねて幕府を率いて行く事は、尊氏にとっても、かなりのプレッシャーになっていた様です。
次の様な一面も伝わっています。尊氏自筆の願文です。
願文とは神様や仏様にお願いする手紙の事ですが、
この願文で尊氏は、京都の清水寺に、この世は夢の様なものだから、早く出家したいです。
どうか私に悟りの心をお与え下さい。と願っているのです。
実は、この願文が書かれたのは、1336年8月の事で、後醍醐天皇との戦いに勝って、これから幕府を立ち上げようという時期でした。
その様な大事な時に、尊氏は将軍という立場から逃げ出してしまいたいと密かに願っていたのです。」
高橋典幸

更に、盛り上げますよ~。